〜介護職の僕は〜

介護職って素晴らしいとおもいませんか?♪
と言うとどことなくイヤイヤ…と言う言葉が聞こえてきます…わら
何故そう思いますか?
勤務体制?、給料面?仕事が大変?
それは間違いないかとおもいます。
でもその間違った体制や悪循環を作り出してるのは私達介護職員なのかもしれません。
その疑問や制度、介護を取り巻く環境などについて語っていきます*

はじめましてのご挨拶*

ひーさんと申します*

只今25歳、

介護のキャリアといたしましては間が空いたりはしていますが7年、今年で8年目になります!

介護の仕事をする傍らで最近では社会的養護や貧困や孤立する若者などの社会問題と向き合う社会活動に積極的に参加させていただいてまして、とても充実した日々を送らせていただいてます*一切満足はしていませんがw


介護キャリアを積んで来た中で僕が経験した事、学んだ事、介護的思考、介護的観点、介護職のリアルなどをみてくださる皆様にお伝えして皆様に有益な情報やスキル等をお伝えしていけたらいーなと思っておりますので

どーぞ、よろしくお願いいたします♪


まず自己紹介がてらに生い立ちとキッカケを綴らせていただきます!長くなりまずが是非目を通して見てください*


僕の幼少期から17歳までは壮絶なものでした。

親からの激しい虐待、ネグリクト、貧困、毎日食べる物に困り、水だけで三日しのいだこともありました(笑

小学三年生から半年くらいプチ不登校になりました。短いですがw

理由は友達から親や家の事を聞かれるのが嫌だったからです。


9歳?とかながらに親からボコボコにされてるなんて間違っても言えなかったし

そんな親でも好きだったので親の悪口なんて家の悪口なんて言えず。

聞かれる度に嘘をついていました。

子供ながらに嘘をつくのに疲れ

いつの間にか学校に行かなくなりました。

短かったですが(わら

行き始めた理由は単純でした。

親に学校に行ってないのがバレて酷くボコボコにされ「お前が学校に行かないとこっちが変に思われる」その一言からまた学校へ。

友達も友達ではなくなり授業についていけるはずもなく完全に孤立しました。

いじめられることは無かったですが空気の様な存在で、お祭りに皆んなで行っても「あれ?いたの?」と言われる始末。

いつしか孤立してる事を幼ながらに理解し、自分の中で正当化して俺は一人の方が楽だ。

と思う様になりました。

今思うとそんな事はなく、今は(本当は昔からだったのでしょうが)お喋りも友達と出掛けるのも大好きで、幼少期の経験があったので人一倍人との繋がりや縁を大切にできる人間になったと自負してます(わら


あと、昔から挨拶だけはでき人懐こい好感の持てる子供でした*今でもそれは自分の中で貫いています。




虐待やネグリクト、貧困の経験もあり、介護の傍らで未来を支える宝といえる子供たちに何かできないかとの思いで社会活動に参加させていただいてます*


うちの家庭は貧困もあり(バカすぎたのもあるのですが)高校には行けませんでした。

行く必要も無いとも思っていましたし、まず勉強も嫌いだったので中学を卒業してすぐ家を飛び出し働くと言う選択肢をとりました。


まず最初に働いたのは職人系の仕事でした。

そこが最悪で毎日毎日現場でも倉庫に帰ってからもボコボコにされ、寮と言われ倉庫に住まわせられました。

ペンキとシンナーの臭いが充満した倉庫。

コンクリートの床にブルーシートを敷いて寝る。

クーラーなんてのはなく、ガスも通っていませんでした。冬でも真水に濡らしたタオルで自らの身体を清拭(わら

お風呂は週一回くらい歩いて40分の所にある200円で入れる銭湯へ。

給料なんてのはろくにもらえなくそんな生活を何年か続けてある日、このままだと死んでしまうと思い泣きじゃくりながら夜逃げ。


奴隷の様な生活に終止符を打ちました。


その後、実家に帰る事もできず

わずかにいた友達の家に泊まったりしながらアルバイトをしながら過ごす日々が続きました。


そんなある日、バイト先の友達のお母さんから介護のお仕事やってみない?と言われここで初めてまずはアルバイトとして介護の世界へ。

これがキッカケでした。

おじいちゃん、おばあちゃんが好きとか人の役に立ちたいなど特に動機や好感の持てる理由なんてのはありませんでした。

あ…少しだけ必要とされていた感が味わえて嬉しかったかも…わら


でもほぼ流されるまま。

一番は好意を断る事が申し訳なかった。

それだけでした。


これが介護の世界に飛び込んだキッカケでした