〜介護職の僕は〜

介護職って素晴らしいとおもいませんか?♪
と言うとどことなくイヤイヤ…と言う言葉が聞こえてきます…わら
何故そう思いますか?
勤務体制?、給料面?仕事が大変?
それは間違いないかとおもいます。
でもその間違った体制や悪循環を作り出してるのは私達介護職員なのかもしれません。
その疑問や制度、介護を取り巻く環境などについて語っていきます*

はじめまして♪〜介護士の道

今でも一番最初に介護施設を面接で訪れた時の事を覚えています(わら


はじめて常勤として働かして貰うための面接!

介護や福祉を1つも理解できておらずましてや、世の中をまだ何も理解してない僕は大切な「就職面接」にどんな服装で行ったらいーかもわからず、周りにそれを聴けるようなちゃんとした友達も居らず…わら


兎に角僕は、面接と言ったらスーツ!と思いイオンのスーツ売り場で14300の上下セットのスーツと4000くらいの革靴を購入!

履歴書に関しては20枚くらい書き直してその中から一番良いのを抜選!

履歴書の写真は兎に角、人相が良く見えるように!実に2000円分くらい撮り直しました!わら


いよいよ!面接の当日!

スーツでビシッ!と決めて髪型はバリッ!と決めて!

だけど面接に向かう時から心臓は爆発寸前。。。

見た目は凄いシャキッとしているのに緊張で下半身に上手く力が入らず目に見えるくらい緊張していました。わら


まずどんな仕事なのだろうか。

学がなくてもできる仕事なのだろうか。

働きはじめて俺が下手をしたら紹介で入ったからバイト先の友達の母の面子を潰してしまう。

などネガティヴな事しか頭をよぎらず。


そんな状態で気付くと面接地に到着。

もう気付いたら着いてましたw

道のりとか一切覚えておらず…


施設に入る前に少し呼吸を整え

大丈夫大丈夫、笑顔が大切と自分に言い聞かせいざ施設の中へ!わら


普段使い慣れない馬鹿丁寧な言葉を使ったもんだから何を言ってるのか何を言いたいのか意味のわからない事に…わら

ですが優しい事務の方が僕の言いたい事を理解してくれて無事…ではないが面接室に通してくれた。


それまでに数人の人とすれ違ったがきっと笑顔は引きつってたはず。。。


面接室で少し待っていると担当者の人がきた。そして第一声に。

「スーツに革靴できたの?!初めてだよそんな人w」との事。

でも拍子抜けしたと同時に悪いイメージは持たれて居なさそう!と思い一気に緊張感が解れた。


面接の結果は即日採用。

いついつから来てくださいとの事だった。


そしてその職場には二年くらいいた。

昇給する事はなく給料は15万ちょっと。そこから組合費など色々引かれ11万くらいだったかなー

休みも週一くらいしかなく。

でも中卒で資格もなにもないし当たり前か。と思いつつ働いていた。

仕事ぶりは可もなく不可もなく。

言われた事はやる。

それ以上はやらないし考えない。

とまあこんな感じ。

でも奴隷みたいな生活をしていた頃よりは全然楽だし考える時間も沢山ある。

だから考えた。やりたい事は?夢とかもっていーのかな?と。

すると音楽がやりたい!と言う自分の意志にたどり着く。

就職して二年、俺は音楽で食えるようになりたいんだ!との思いで退社!わら


そこから都内に出て他の施設や飲食等のアルバイトをしながら音楽をやりながら好き勝手生きる日々。

も!!!そんなに続かず!わら

四年で終止符を打ち再び介護の世界へ舞い戻りましたw選んだ先は療養型病院。


あ、ちなみに音楽をやめて働き出した理由は単純。

結婚したかったからです!わら


ですがここが人生の転機でした。

3カ月の研修期間を経て常勤として正規雇用された最初の給料を見て僕はびっくりしました。

夜勤月4回大体週に三日休みがありそれで18万5千円。

資格もなく中卒の僕でもこんなに貰えるのか!とびっくりしました。

同時に思いました。この金額には患者さんの命を預かる責任の重さ。

自分はこの金額をもらう程、もらっていい程働けているだろうか。と少し申し訳ない気持ちにすらなりました。


そこから五年が経ちます。

全然足らないです(わら

子供も二人授かりまして、家庭を養う立場になりました!

全然足りませんw


なので今でもは病院で勤務しながら夜勤のバイトをしてなんとか!なんとか!生活しています!

ですが僕は正規雇用に切り替わり常勤として初任給を貰ってから今日まで、また病院に勤める間は

一番は患者様、患者様のご家族、チームメイト、上司の看護師、ドクターみなさんに対しての労いや優しさの言葉、態度の配慮、些細な心配り等をできるだけ忘れず、常に病院に利益をもたらせる人材を心掛けて過ごして来ました。

今は転職しようかとか起業しようかとかキャリアアップしてPTになろうかとか色々考えています!わら

ですがなんにせよこの介護や医療の世界から離れる気はありません*


ですが長い年月を経て意識の変化がありました。それは


常にこの病院に利益をもたらせる人材。から


常にこの介護、医療と言う世界に利益をもたらし正しいエビデンスを元に優れた介護的思考、介護的観点を理解した人材を育成し、生産できる人材になる。また介護の労働に変化をもたらす事のできる人材になる。に

変わりました。


五年も居ると意識も変わるものですね!わら

教わる立場から教える立場になってまた一段と意識が変わりこの考えが根付きました。




では、優れた介護的思考や観点、エビデンス、とはなんなのか?

どうすれば僕ら介護職の働き方に変化をもたらす事ができるのー?等、

病院にいる僕の視点を交えながら色んな疑問やスキルの解説、僕の考えを

綴って行きたいとおもいます!


また質問等ございましたら答えさせていただきますのでお気軽にコメントしてください*

はじめましてのご挨拶*

ひーさんと申します*

只今25歳、

介護のキャリアといたしましては間が空いたりはしていますが7年、今年で8年目になります!

介護の仕事をする傍らで最近では社会的養護や貧困や孤立する若者などの社会問題と向き合う社会活動に積極的に参加させていただいてまして、とても充実した日々を送らせていただいてます*一切満足はしていませんがw


介護キャリアを積んで来た中で僕が経験した事、学んだ事、介護的思考、介護的観点、介護職のリアルなどをみてくださる皆様にお伝えして皆様に有益な情報やスキル等をお伝えしていけたらいーなと思っておりますので

どーぞ、よろしくお願いいたします♪


まず自己紹介がてらに生い立ちとキッカケを綴らせていただきます!長くなりまずが是非目を通して見てください*


僕の幼少期から17歳までは壮絶なものでした。

親からの激しい虐待、ネグリクト、貧困、毎日食べる物に困り、水だけで三日しのいだこともありました(笑

小学三年生から半年くらいプチ不登校になりました。短いですがw

理由は友達から親や家の事を聞かれるのが嫌だったからです。


9歳?とかながらに親からボコボコにされてるなんて間違っても言えなかったし

そんな親でも好きだったので親の悪口なんて家の悪口なんて言えず。

聞かれる度に嘘をついていました。

子供ながらに嘘をつくのに疲れ

いつの間にか学校に行かなくなりました。

短かったですが(わら

行き始めた理由は単純でした。

親に学校に行ってないのがバレて酷くボコボコにされ「お前が学校に行かないとこっちが変に思われる」その一言からまた学校へ。

友達も友達ではなくなり授業についていけるはずもなく完全に孤立しました。

いじめられることは無かったですが空気の様な存在で、お祭りに皆んなで行っても「あれ?いたの?」と言われる始末。

いつしか孤立してる事を幼ながらに理解し、自分の中で正当化して俺は一人の方が楽だ。

と思う様になりました。

今思うとそんな事はなく、今は(本当は昔からだったのでしょうが)お喋りも友達と出掛けるのも大好きで、幼少期の経験があったので人一倍人との繋がりや縁を大切にできる人間になったと自負してます(わら


あと、昔から挨拶だけはでき人懐こい好感の持てる子供でした*今でもそれは自分の中で貫いています。




虐待やネグリクト、貧困の経験もあり、介護の傍らで未来を支える宝といえる子供たちに何かできないかとの思いで社会活動に参加させていただいてます*


うちの家庭は貧困もあり(バカすぎたのもあるのですが)高校には行けませんでした。

行く必要も無いとも思っていましたし、まず勉強も嫌いだったので中学を卒業してすぐ家を飛び出し働くと言う選択肢をとりました。


まず最初に働いたのは職人系の仕事でした。

そこが最悪で毎日毎日現場でも倉庫に帰ってからもボコボコにされ、寮と言われ倉庫に住まわせられました。

ペンキとシンナーの臭いが充満した倉庫。

コンクリートの床にブルーシートを敷いて寝る。

クーラーなんてのはなく、ガスも通っていませんでした。冬でも真水に濡らしたタオルで自らの身体を清拭(わら

お風呂は週一回くらい歩いて40分の所にある200円で入れる銭湯へ。

給料なんてのはろくにもらえなくそんな生活を何年か続けてある日、このままだと死んでしまうと思い泣きじゃくりながら夜逃げ。


奴隷の様な生活に終止符を打ちました。


その後、実家に帰る事もできず

わずかにいた友達の家に泊まったりしながらアルバイトをしながら過ごす日々が続きました。


そんなある日、バイト先の友達のお母さんから介護のお仕事やってみない?と言われここで初めてまずはアルバイトとして介護の世界へ。

これがキッカケでした。

おじいちゃん、おばあちゃんが好きとか人の役に立ちたいなど特に動機や好感の持てる理由なんてのはありませんでした。

あ…少しだけ必要とされていた感が味わえて嬉しかったかも…わら


でもほぼ流されるまま。

一番は好意を断る事が申し訳なかった。

それだけでした。


これが介護の世界に飛び込んだキッカケでした